『常に世界を見つめ、そして人への思いやりを持つこと』株式会社ホット沖縄|代表取締役社長白石 武博

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『常に世界を見つめ、そして人への思いやりを持つこと』株式会社ホット沖縄|代表取締役社長白石 武博


— 御社の経営理念・事業内容を教えてください


経営理念は、「沖縄を良くする」です。

「沖縄観光の課題を解決したい」という想いのもと平成2年に創業した株式会社ホット沖縄は、お客様の声と真摯に向き合ったサービスと柔軟な発想で “沖縄・人・笑顔・未来”を結びつけるよう、様々な事業に取り組んで参りました。
おもてなしの心(Hospitaliry)を軸に、柔軟かつ自由な発想(Originality)沖縄、人、笑顔、未来を結ぶ(Transport)ために新しいもの、より良いものを提案し、地域や世界とともに変化し、沖縄を熱く盛り上げるために成長し続ける会社です。
社名である「ホット沖縄」にはそんな熱い想いが込められています。

『常に世界を見つめ、そして人への思いやりを持つこと』株式会社ホット沖縄|代表取締役社長白石 武博
自社ホームページより


事業内容は、不動産事業、建築事業、人材事業です。
グループ会社である株式会社カヌチャリゾートで「世界に誇れるリゾートを創ろう!」、「リゾートの街づくり」がコンセプトとなり、その際、土地を探したり、建物を造っていく必然的に“人材”も必要となります。これらを事業として運営していくため必要となって設立したのがホット沖縄なのです。
そして、自分たちのグループ会社の為だけではなく、「沖縄をよくする」という経営理念のもと、蓄積したノウハウを沖縄の企業の為にサポート(地域貢献)していくことが弊社の使命です。


— いつ頃から社長なのでしょうか?また、いつ社長になろうと思ったのでしょうか?


当時のキャリアパスというのは、いい高校、いい大学、そして一流企業に入る、もしくは官僚になるというのが成功モデルとして良しとされていた時代でした。ぼくは次男なので好きな道に進んで良いかなと思っていました。

それを察知したのかはわかりませんが(笑)、私が16歳(桐蔭学園1年生)の時に、親父(白石 武治氏)に「ドライブに付き合え」と言われて、連れて行かれたのが40年前の今のカヌチャの場所でした。まだ58号線も整備されていない、沖縄自動車道もまだなかった時代です。

今のカヌチャの場所まで車で3時間半くらいかけて行って、辿り着いたのは、ただの山でした(笑)。さらにそこを抜けて、海沿いまで下りてきた所で、親父から「ここに、ハワイのようなリゾートタウンを建設する計画があるからやろうと思っている。

ただ、一代ではできないからお前も観光と金融の勉強をして一緒にやろう。」と言われました。そのときは親父は気が狂ったかと思いましたよ(一同笑)。

株式会社ホット沖縄  代表取締役社長 白石 武博

だって那覇から3時間半もかかって山の中ですよ。親父は、道はいつかできるからと平気で言う人でした。ただ、沖縄が戦争で焼け野原になって、そこから沖縄が復興していく復興世代の人です。

沖縄はアメリカ統制下から1972年に本土復帰をして日本化が始まり、その中で置いてけぼりの沖縄を当時の人たちは何とか自立したい、自活していきたいという想いが強かったと思います。その為には産業を興したいと思い、工業立地ができないかとトライしたんです。

そのときの日本の成功モデルであるモノづくりや産業立地を試してみたが、水がない、電気やインフラが安定していない、人も高性能の人がいない、立地的にモノを運ぶインフラが不利である、といういわゆる県外の成功モデルが沖縄ではうまくいかないという結論となりました。

そこで当時着目したのが、ハワイ型の時間輸出経済圏、観光を基軸とした収入を稼いでいく仕組みを沖縄で作れないか、それなら作れるのではないかという仮説ができたんです。

『常に世界を見つめ、そして人への思いやりを持つこと』株式会社ホット沖縄|代表取締役社長白石 武博

カヌチャという場所は元々、名護市の中でも斜陽化された土地で、元々の産業は木を伐り出して、薪にして沖縄のエネルギーの供給地点でした。戦後ガスが普及し、エネルギー改革が起きて、ここの産業が斜陽化して人が減っていき、土地だけが残ったんです。名護市の皆さんが、ここを活用して新しい産業ができないかと始めたのが、カヌチャプロジェクトだったのです。

ところが、80万坪ある土地を、小さい経済単位のところだけで運営するのはどうしても難しいと言われていました。海洋博記念公園ができて58号線や沖縄自動車道が整備されても、名護市は通り道になるだけで、ここには消費が落ちない、何とかこの未開の山をインフラとして産業を興せないかという話をしていました。

沖縄経済界の若手の中心人物だった人たちが、カヌチャプロジェクトを話し合っていました。その内の1人が親父(白石 武治氏)でした。そのプロジェクトのメインを白石でやりましょうということになりましたが、行政との絡みもあり、民間企業だけでやることになりましたが、1社抜け、また1社抜けということでうちしか最後に残らなかったんです。

それでも沖縄の為にはやり続けなければいけないと言ったのが、親父(白石 武治氏)です。

当時の沖縄は工業立地であり、本土並みを目指す、日本並みを目指すという日本の成功モデルは沖縄ではできないので、ハワイ型の観光業を目指そうとしたのです。

100円のサトウキビを作るのに110円の税金が掛かるというような商売が永遠に続くわけがないし、自分達で飯が食える商売ができてないのが現状でした。いろんなことを試そうと考え、沖縄は観光産業に取り組めばいいのではないかということでスタートしました。

それで、親父は「一緒にやらないか?」と言ったんです。16歳の時でした。遡ること40年前の話です。まんまと親父にだまされたかな。あっはっはっは(大笑)


— 会社の10年ビジョンを教えてください


株式会社ホット沖縄  代表取締役社長 白石 武博

日本の10年ビジョンと考えても良いかと思うのだけど、日本は少子化で、人口減少が始まっていてどんどんシュリンクをする。マーケットもシュリンクをして、基本的にはオールドになっていく。このような少子高齢化に対してどうするかというのが1つ。

もう一つは、逆に69億いる外国人に対してどう商売をするのかということ。これは日本全体でも同じ課題だと思います。沖縄は東京ばかりをみていたが、日本自体はシュリンクしていくのだから、それに合わせるのではなく、もっとダイナミックに70億人全員がお客様だと捉えて、全世界がコンペティターでマーケットであるという考え方からやる必要があります。これはハワイで学んだことでもあります。

したがって5年、10年というビジョンを考えたときに、日本はさらに少子高齢化していく中で、外国人を取り入れていくと同時に、プレーヤーとしての働き手もどんどんオープンにしていく必要があります。但し、軒先貸して母屋を取られるではダメなので、ホット沖縄はホット沖縄らしく自分たちのスタンスで、DNAはしっかりと残しつつ拡げていく必要があります。

ですから10年ビジョンでは、カヌチャリゾートを理想的なリゾートスマートタウンの成功モデルとして沖縄をリードしていき、その中で生まれた問題点や課題を発見し、認識して、その解決策=ソリューションを弊社で提供することで、地域や世界とともに変化し、沖縄を熱く盛り上げる企業を目指しています。


— 株式会社ホット沖縄が求める人物像を教えてください


我が社のベーシックな考え方として、お客様にだけではなく「人にやさしい」ことを大切にしています。国が違おうと、言語が違おうと、カスタムが違おうと、「いい人間」、「人が好きな人間」、「人にやさしい人間」という“能力”は勉強すれば身についてくるものだと思います。また変わったことが好きな人だね。

考え方は人によって違うので、押し付けるつもりはないのですが、街の成長に合わせて人も変わっていく。変わっていくこと、チャレンジをしていくことに対して喜びを持てるような人を望んでいます。能力のあるなしが大切ではないです。

私自身、能力があると思っていません。生まれた時からの悪人なんていないと思います。人のことを思いやれる人間であれば良いのです。そうするとお客様に対しても何を提供すれば良いのかを考えて行動ができるようになります。

それが、思いやりの心です

『ちゃんと私のことを見てくれているんだね、理解してくれているんだね、だからあなたに会いに行くんだよ』とこころが通っていたら、すべてのお客様に対して接することができるはずです。そうなればマニュアル(一般的な接客マナー)なんて必要なくなり、最高のサービスができるはずです。

『常に世界を見つめ、そして人への思いやりを持つこと』株式会社ホット沖縄|代表取締役社長白石 武博
※イメージ



— 沖縄の若者・未来のスタッフに向けたメッセージをお願いします



日本はいま、旧の日本から新しい日本に変わって行こうとしています。世界もどう動くかわからないけれど、いろいろな意味で物の考え方が旧来のものから変えていかなければいけない時期だと思います。

グローバル思考で“みんなが地球人だ”という感覚、目線で一緒に仕事ができるかどうかが大切です。
私の毎日の日課は、朝5:30に起きてBSの「世界のニュース」をみて、世界23か国の当日のヘッドラインをチェックすることです。沖縄、そして日本で起きていることだけではなく、世界でどんなことが起きているのかを知ることで世界観が変わります。私はこれを毎日の日課にしています。

沖縄、日本、世界で何が起こっているのかを知って、アジアの中での日本人、世界の中での沖縄人という意識をもって生きていくことです。日本人同士で平均的なことをやっていれば平均的な結果が得られるという時代は終わりを告げます。そんな過去のトラックレコード(過去の実績や履歴)というものはもうないのだということを認識して、これからは荒波の大海の中に突き進んで行くのが日本であり、その日本をリードしていく為に、若い人たちにはそういう目線で世界を見るようになって欲しいです。

沖縄は日本の中での西の玄関口です。どんどん世界に行ってほしいですし、世界の人を呼んでほしいし、コミュニケーションを取っていって欲しいです。

観光業界だけではなく、農業に従事している人、モノ作りをしている人など、人が集まると新しく仕事ができ、その人たちが提供するものをイノベーションしていくというようなことをやっていきたいです。そこから商売、ビジネスが生まるはずです。

人のいい人大集合!変わったことをするのが好きな人大集合!ということで皆で良い人生を送りましょう!

株式会社ホット沖縄  代表取締役社長 白石 武博

企業名:株式会社ホット沖縄
役職名:代表取締役社長
出身地:沖縄県那覇市
出身校:大道小学校⇒真和志中学校⇒桐蔭学園高等学校(神奈川県)⇒早稲田大学商学部
趣味:映画鑑賞、料理:毎日の朝食はクックパッドを見て自分で作っています。
特技:仕事(ゴルフ含む)、料理:得意料理は中華丼で、ゲストに大好評です。
   社長カレーが名物で、年に4回ほどスタッフ約100人分を1人で作ります。毎年、年の初めは午前1時頃からスタッフみんなで集まりカヌチャ内にある神社を参拝して、年頭の訓示を行い、年初めにカレーを食べて初日スタートをがんばるぞ!とやっています(笑)。毎年の年初めは社長カレーを食べて始まるんです(カヌチャスタッフ談)。
最近みた映画:アメリカの連ドラよく見ます。ザ・アメリカンズ、クリミナル・マインドなど。
好きなお酒:テキーラ。時間効率が良いから。お酒は酔うために飲む。早く酔ったらスパッと終わって早く帰って寝る。だからテキーラ!醸造酒より蒸留酒がいい。
行きつけのお店:やきとり白鳥(スワン)(那覇市泉崎)、焼き鳥屋やっさん(那覇市松山)
最近読んでよかった本:「デフレの正体 経済は「人口の波」で動く」藻谷 浩介 (著)
好きな音楽:よく歌うのは、和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」や円広志さんの「夢想花」などです。
今一番欲しいものは?:「人材」
※個人的に欲しい物はほとんどないかもしれません。年に1回ユニクロに行って下着などを購入しますね(社長、それは欲しい物ではなくて必要なものです)。こんな感じであまりほしい物はないそうです。その代わり好きなことは「飲みに行くこと」、「人とのコミュニケーション」でした。
※いつも出張しているイメージですが、年間どれくらい出張行かれますか?
月に3~4回飛行機に乗っているので年間だと50~60回くらいかもしれません。年間で大体20万マイルくらい貯まります。

起床時間5:30
就寝時間1:00~1:30
飲むのは24:00までで、帰宅後連ドラ1本鑑賞して就寝。

【株式会社ホット沖縄】
HP:http://www.hot-okinawa.co.jp/
本社:〒900-0036 沖縄県那覇市西1-9-18 T’sウエストタウン2F
創業:1990年(平成2年)12月21日
事業内容:人材派遣事業、有料職業紹介事業、アウトソーシング事業、建築・設計・監理、建設業、不動産業、マンション管理業

◆株式会社ホット沖縄の採用情報は『採用ブログ』から発信します!
https://hotokinawa1990.ti-da.net/





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